2018年12月1日土曜日

陳式心意混元太極拳の命名の由来


陳式心意混元太極拳の命名は1998年に内部の学生の為に出版された式心意混元太极拳函授教材」の時になされました。その時、張兎飛老師は馮志強老師に簡単明瞭な「混元太極拳」という名にすれば如何ですかと言われたが、馮老師は同意されなかった由。張老師はその理由を馮老師にお聞きになり、馮老師は以下のように回答されたとの事でした。

①陳式の名前は陳発科公を意味するものである。
②心意の名前は胡耀貞老師を意味するものである。
③混元は両老師が太極拳の最高の功夫と境界を表すものと考えられており、私(馮志強)もそのように考えるものである。

従い、この陳式心意混元太極の8文字の名前は変える事が出来ないと言われました。
そこで張老師は折衷案として正式な全称を「陳式心意混元太極拳」とし、略称を「混元太極拳」としてはどうかと提案されました。そこに於いて初めて馮老師は同意されたとの事です。

この太極拳は自分が創作したものでは無い。陳発科公と胡耀貞公が共同研究の上創ったものであると私は馮老師からは聞かされていましたし、上記の話は張老師から聞かされていました。

しばしば馮志強老師はこの陳式心意混元太極拳を「上乗の太極拳」と言われていましたが、その真意は陳発科、胡耀貞の両老師が研究の上創られ、両老師が太極拳の最高の功夫と境界である「混元」を御自身も体現された為、両老師への尊崇の念を込めて上乗の太極拳と言われていたものと思われます。決して自分が創った太極拳を自画自賛して言われていたものでは無いと思います。というより常々混元太極拳は自分が創ったものでは無い陳発科老師と胡耀貞老師が創られたものと小生には言われていました。

最近「馮式太極拳」なる呼称が巷間流布されていると聞き及びますが、上記の話を知る小生に取っては非常に違和感のある呼称と言わざるを得ません。馮志強老師が生きて居られたなら即座に拒絶される事は疑う余地の無いものと言わざるを得ません。


2018年11月1日木曜日

ニ路(炮捶)

陳式太極拳の二路に関して私見を述べたいと思う。 二路は炮捶と言われて爆発勁を用いる。爆発勁は日本では発勁と言われているものに近い。みなさんも表演等でご覧になった事もあるかと思う。柔勁が練られて、功夫も上がってくるとこの爆発勁を用いる二路に進む事になる。この爆発勁を出せるようになる事は必要な事で二路に進むからには、この訓練は必須となってくる。但し、爆発勁を多用すると体にも良くないし、又爆発勁を練習したからと言って、爆発勁の爆発力が上がる訳では無い。やはり爆発の威力を上げるには柔勁でこの套路を打つ必要がある。従い、表演の時を除き二路でも爆発をなくし、柔らかく打つのが陳発科老師の室内の伝承となっている。なぜ敢えてこの室内の伝承を明かすのかと言えば、やたらに発勁をし身体を壊すことを危惧するからである。身体を壊す人が多く出てくると太極拳、特に陳式太極拳の間違ったイメージを増幅する事にも繋がると危惧するからである。皆さんにおかれては発勁ができる事は必要な事ですが、練習で多用する事は気を付けられた方が良いと老婆心ながら付言する次第です。

2018年10月2日火曜日

胡耀貞老師の不思議

馮志強老師よりお聞きした胡耀貞老師の不思議に就いて書いてみたいと思います。
他と重複するかもしれませんが以下に纏めてみたいと思います。
胡耀貞老師は実に不思議な方です。謎に包まれた人と言ってもいいかもしれません。
(その1)
ある時馮志強老師と雑談していた時に不意に胡耀貞老師の不思議に話が及びました。
それは同老師が座禅している時に10cm程、床から浮かんでいたというのです。
床から浮かび、ふわふわと上下動をしていたそうです。
この話はその後も何回かお聞きしてので余程馮老師も驚かれたのだと思います。
私もこの話を馮老師から聞かなければ信じなかったと思います。

(その2)
ある時馮老師との雑談の中で胡耀貞老師が文化大革命を予言していたと言われました。それはどういう事かというと、胡耀貞老師が突然これから世の中が乱れるので自分は暫く姿をくらますと言われ、どこかに去って行かれました。その後間もなく文化大革命が起きたそうです。

(その3)
陳発科老師との出会いのエピソードです。ある夜、胡耀貞老師が魂体離脱をして北京の夜を空から眺めて回ったそうです。次の朝、馮老師は胡老師から呼び出しを受け、どこどこに凄い武術家がいるから、そこに行って連れてきて欲しいとの話があったそうです。
馮老師は狐に抓まれた気持ちで、言われた住所を探し出しお会いしたのが陳発科老師だったそうです。両者はたちまち意気投合されたとの事です。

(その4)
胡老師がお亡くなりなる時に馮老師に連絡があり、何時、どこどこに来て欲しいとの話があったそうです。その日に言われた場所に馮老師が行かれると胡耀貞老師が座禅したまま亡くなられていたそうです。

以上がお聞きした内容です。俄かに信じられないと思います。私も最初にお聞きした時は俄かに信じられませんでした。然し、馮老師は両師匠に関しては冗談を言われた事がなく常に尊崇の念を持って接して来られた方なので馮老師が嘘を言われたとはどうしても思えませんでした。

2018年9月1日土曜日

楷書の混元太極拳

小生の場合は馮志強老師及び張禹飛老師より楷書としての混元太極拳を教わったので、最近の人の混元太極拳を見ると非常に違和感があります。拳理を考えながら変化させているのか、ただ単に拳理を分からずに変化させているのか非常に疑問に感じます。馮老師の弟子でも功夫はあるものの、勝手に套路を変化させ、その弟子、即ち孫弟子になるとかなり酷いものが見受けられます。馮老師の弟子に学んだ日本人の套路を最近偶々見かける事がありましたが、同様の弊害にあっていると思わずにいられませんでした。
そのように考えていたら、偶々張老師からSNSで連絡があり、この套路を見てくれとある中国人の混元太極拳の24式套路の動画が送られてきました。肩は上がっているは、身体は斜めになっているわ酷過ぎるというものでした。馮老師が見られたら怒りで憤死しているだろうと締めくくられていました。
多くの孫弟子の弊害は主に二つあります。一つは各招式の拳理があいまいな為、勝手に套路を変えてしまっている事があります。最近も馮老師の弟子に欧州で学んだ日本人に弟子の套路を偶々見かける機会がありましたが、套路の改竄は酷いものでした。恐らく一つ一つの拳理を学んでいないものと思えました。二つ目は意念が散漫になり、套路の気持ちよさに酔っている状態が多く見受けられました。混元太極拳は基本的には身体はファンソン、意念は鋭くを実践している必要があります。しかし、意念が散漫になっている例が多くみられました。これでは套路を練る際に意念が鋭くなってきません。套路を練るという事は兎にも角にも意念を練る事に一つのポイントがあります。従って意念が散漫になってしまっては套路の価値が半減です。このような例を多く目にしたので、今後は馮老師より教えられた混元太極拳24式の楷書の套路を広めていきたいと考えています。北京にいる時に一式、一式かなり細かく楷書の套路を教わったので、それを今後自分の会のみならず、他会であっても望む人には伝えて行きたいと考えています。

2018年8月1日水曜日

制定太極拳

中国政府が始めた国家制定太極拳又は制定拳と呼び、伝統太極拳を伝統拳又は民間の太極拳と呼んでいる。日本ではこの制定拳が普及しているが、この制定太極拳(制定拳)について私見を述べてみたい。
●伝統太極拳は功(練功による内気の充実と力)を重視し、各伝統拳には内功法が存在するが、制定拳では内功法が存在しないかもしくは殆ど教えていない。従い、結果として功の無い人が多い。中国人はこの事を称して中身が無いという言い方をされており、小生も中国滞在中には良く耳にした。
巷間言われているのは制定拳を作る際に5流派の伝統拳のGRAND MASTER(GM)を集めて作ったがその際にGMは嘘は言わなかったが本当の事、特に秘伝等を全て明かした訳では無かった。従い、内功は秘伝に属するので明かさなかったと。又真の功夫は民間にあるという言われ方もしていた。中国語で「真功夫在民間」という。実際制定拳の先生で心ある人は自分が他所で学んだ内功なり、タントウ功なりを教えている処もある。

●1956年に簡化24式を1957年に88式を制定したが、いずれも楊式太極拳をベースとしたもので、全ての太極拳を代表するものでは無い。小生は陳式太極拳に属する人間ではあるが、楊式太極拳を評価しているし、非常に大好きな人間でもある。従い、大陸や香港から楊式太極拳の方がみえると必ず表演を所望している。ただ、これを簡化24式として最初に行う套路としてはかなり難しく適切では無いと考えている。どこが難しかと言えば、陳式太極拳では放松と緊張を繰り返す事によって放松を体得していくが、楊式では最初から全てが放松で通していく事になる。これは難度が高く殆どの日本人が出来ていない処であるし、教える側も理解できていないのではと思われる。そもそも放松(ファンソン)が単なるリラックスする事と勘違いしている人が多い。ファンソンは内気の充実、膨張を伴う、リラックスなので、ここが出来ているかどうかは出来ている人にしか分からない。従い、套路に内気と内勁が無く、見ていても感じられないという具合となる。これでは太極拳にならない。

●その後制定拳も楊式のみに偏るのはまずいと思ったのかようやく伝統各流派の招式を取り入れて48式を1979年に制定し、又競技套路として42式総合太極拳を作ったという状況ではあるが、単なる招式の寄せ集めにすぎないと思われる。各流派の太極拳の要諦及び家風は見過ごされている感が否めない。例えば楊式では身体の上下動は戒められているが、陳式では戒められていない。フィロソフィーが違うのでそれらをごっちゃにして教える事に無理がある。制定拳を行っているものでこれら各流派の要諦を理解している人にお目にかかった事が無い。所詮は楊式をベースに各流派の招式を紹介している程度のものではないかと言われても仕方が無い。ただ中国では生徒を明確に2種類に分け、一般の生徒を「学生」、拝師の生徒を「徒弟」と言い重要な内容は「徒弟」にしか教えないので制定拳を学んでいる人に各流派のGMが要諦を伝えないのは仕方の無い事とも言える。

●ここまでどちらかと言えば制定拳の短所を挙げて来たが、長所も言わせて貰えば、なんと言っても太極拳を普及したという功績は否めない。この簡化24式があるので、太極拳及び太極拳らしきものが広まったという事は言えると思う。特に日本人には規格がきちっとしている制定拳は取り組み易いと言えるし、日本人に合っていると思う。もし簡化24式に然るべき勁が出ていなくても、太極拳に入る一つの縁を得たとは言えると思う。

●又48式や42式を作ったので他の太極拳も紹介する役割も担ってきた。この太極拳を導入窓口として各伝統拳に入った人もおられるし、今後のそのような役割は期待できる。その意味では制定拳の役割は大きかったと言えるでしょう。

2018年7月1日日曜日

太極拳で組手のレベルが上がる!

小生は組手がそんなに強くはありませんが、太極拳をやれば組手のレベルが格段に上がるとの実感があります。それは小生だけでなく、小生の生徒もレベルが上がっているからです。その仕組みとはどういう事かこれから申し上げたいと思います。
1.太極を追及する過程で無極を体現する必要があります。自分が無極に在って初めて太極が理解できます。この無極にある状態は一切の恐怖と驕りを捨てなければなりません。これができた時に常に心が平静になり、相手の動きが良く見えてくる事になります。太極拳ではこの無極を体現する練習方法が組み込まれています。無極の状態にある時自他の区別が無くなり、相手と自分の境目がなくなります。従い、相手の事が自分の事のようによく見える事になります。
2.強大な勁が身に付く。勁はゆっくり練る事により身についてきます。この勁が身に付けば、どの様な間合いでも力を発揮でき、相手の間合いを潰す事が可能になります。要は加速度に頼らない威力が勁です。私の師匠の馮志強老師はとにかく功夫を養い、強大な勁を身につける事を要求しました。私が出来ている訳ではありませんが、これが身に付けば組手で有利になる事は間違いありません。勁が強大になればこちらが防いでいても相手が崩れる事も多々あります。
3.套路は意念で練る為意念の反応の速度が速くなります。これも組手では有利な条件となります。
4.太極が理解できる為相手の動きの起こり、意念の起こりが良く見えてくる事になります。ここで言う太極とは太極拳経に定義される太極です。太極は静動の機、陰陽の母です。この太極を把握できれば後の先が取れる事となります。

従い、これらが曲りなりに理解、体現レベルになれば組手を解禁する事になりますが、その時点では可成り組手のレベルが上がっている事になります。

2018年6月1日金曜日

私がいた頃の北京武術界

私が北京にいたのは1993-2003年位でした。此の頃北京では陳式太極拳と言えば皆口を揃えて馮志強老師、楊式太極拳と言えば劉慶洲老師、呉式太極拳と言えば李秉慈老師と言われていました。その他には呉式太極拳と八卦掌を教えている王培生老師、形意拳、八卦掌の駱大成老師、大成拳の王選傑老師と伝説上の名人が多く居られた時でした。当初はそういう事情は知らず、偶然出会えた馮志強老師の幸運に感謝し、他の老師方には目もくれず練功に明け暮れる毎日でした。私はある事情で長富宮飯店に泊まって朝練習をしていた時期がありましたが、そのホテルでは毎朝太極拳の表演をホテルの庭園で行っていました。そのメンバーの一人が劉慶州老師の息子で劉連有でお互い顔見知りとなりました。同氏は現在慶洲太極拳推手研究会会長ですが、当時から推手も強いとの噂がありました。北京で制定太極拳をやっている人は劉慶州の影響を受けている人が多く、勁が出ている立派な太極拳を打っている人が多かったのを覚えています。因みに、我々馮志強の門下の人間は制定太極拳は出来ず、というのもある人が制定太極拳をやってた処を馮老師に見られ老師が发脾气(ファーピーチー)日本語でいる癇癪を起したと言われていたので誰もする人がいませんでした。
日本で制定太極拳をやっている人で勁が出ている人が少ないのは、このような伝統太極拳をやっている老師が教えていないからだと考えています。制定太極拳は楊式をベースにしている為(特に簡化24式)伝統楊式拳の老師が教えるのが繋がりが良いと考えています。
因みに太極拳の大会で数々の優勝をかざられた遠藤靖彦先生は馮志強老師、劉慶州老師、陳小旺、周元龍老師とも推手をされたとの事です。

2018年5月1日火曜日

套路はゆっくり打つのか?

套路はゆっくり打つのか? と聞かれれば太極拳なんだから当たり前と言われると思います。然し、私の理解は少し違います。太極拳は精密に打つのがしっくりくる感じです。陳式太極拳に於いては一般に小架式は緊湊(無駄なく精密にまとまっている)、大架式は舒展大方(伸びやかに大きく)と言われていますが、この精密に打つ事がこの大架式に於いても大事であると考えています。精密に打つ結果として速度が遅くなるというのが実情であると思います。というのは一式、一式、意念を用い、正しい勁を出していこうとすればやはり打つ速度が遅くなります。又、この精密に打つ事ができなければ相手の攻撃に対し素早く対処できないのが実感です。精密とは意念、勁ともギリギリまで感度を高めれば当然速くは打てない訳です。こうして感度を高める事によって素早く動く基礎が作られているように思います。その基礎が出来た段階で速く打つ事も必要です。これは陳発科老師の教えにもあるように套路は速くも打てなければなりません。但し、あくまでも精密に打ててから速く動く事が肝要です。精密に打てずに速く打てば套路が雑になります。意念も雑になり、勁も出てきません。例えば掩手肱捶は陳式太極拳の典型的な打撃の招式ですが、殆どの人がここで発勁を行い、速く突きます。この場合打つ手が纏糸勁が出ているかどうかは非常に重要なポイントです。空手をやっていた人の多くは正拳突きの要領で手を捻じって螺旋回転させてはいますが、纏糸勁が出ていない人を多く見受けられます。纏糸勁が出ているかどうかはゆっくり打った時にもう一人の人に両手で拳を強く包んでもらい、その状態でも手が回転するようであれば纏糸勁が出ていると言えますが、多くの場合回転できずに止まってしまいます。速く打てば纏糸勁が出ているかどうかは誤魔化せますが、ゆっくりだと誤魔化せなくなりますし、他の人は見ているだけで分かるようになります。このように纏糸勁が出てから速く打つと太極拳の突きになっていきます。又別の言い方をすれば、打つ際に丹田から直結した感じが出てくれば速く打っても良いでしょう。このように一つの招式を完成させるのに精密に作っていく為、動きが当初はゆっくりとならざるを得なくなるというのが正直な感想です。

2018年4月1日日曜日

目指すべき太極拳

太極拳を専門にして一日8-10時間練習し、太極拳を極められている方は日本にもおられます。又人間的にも尊敬できる方も多くいらっしゃいます。それらの方々は我々が目指すべき頂の道標として大変な貴重な存在だと考えています。ただ、小生はそれほどの実力、功夫もありませんので、それとは別に、一般の仕事を持った忙しい社会人が何処まで行けるかの一つの道標を作りたいと考えています。少ない練習時間を効率よく使い、功夫を高め、太極に近づけるのは何処までかを実践し、示していきたいと考えています。というのも一般の人達に太極拳を普及するとなれば、何時間も時間が取れないのが現実です。仕事も忙しい、家庭も忙しい、こういった人が殆ど大半であると考えています。然し普及となればこういった一般の方々ができるようにならなければいけないとも考えています。これらの人が太極拳を専門に行っている人とは比ぶべくもありませんが、ある程度の功夫と伝統太極拳の醍醐味が味わえるレベルになるような道筋を作る事も大切であると思っています。普及とは「底辺は広く頂は高く」が原則で両者は相互に依存しあう関係にあると思っています。斯かる底辺の拡大が将来的には頂きの高さに結びついてくるのであろうと期待もしている訳です。それには自分がまずは実践し、生徒がそれを証明する事が必要であると考えています。従い、現在小生の教室では私が中国で受けた教育に工夫を凝らし、一般の方を教えています。この試みがうまくいけば太極拳も日本に根付き第二の陳発科、馮志強といえる名人が多く輩出されると期待しています。

2018年2月1日木曜日

馮志強老師の雑談

雑談1
ある時馮老師と雑談していた時、以下の話をお聞きしました。
それは馮老師が深圳の太極拳の表演に出るため深圳に出張しておられた時の話でした。
表演は翌日なので深圳の公園で太極拳を練習されていたら、あるおばさんが近寄って来られました。
おばさん曰く
「あなたの太極拳はなかなかのものだが、まだまだです。私はもっと凄い人を知っている。」
馮老師
「ほう、それは誰でしょうか?」
おばさん
「その人は北京にいる。」
馮老師
「その方はなんというお名前でしょうか?」
おばさん
「馮志強です。」
馮老師は吹き出しそうになったのを堪えて、
「そうですか。」
とだけ言われたそうです。

雑談2
ある時内功の話を馮老師と話していた時、「会陰」の話が話題になりました。その時に以下の話をして頂きました。
それはある外人の女性グループと内功の説明をしてツボである「会陰」から気を取り入れるという話をした時、一人の女性が「会陰」はどこにあるのですか? と突然聞かれたそうです。馮老師は女性のアソコとも言えず困ったと言っておられました。達人でも突然の攻撃に受けられない事もあるのかと思った次第です。

2018年1月2日火曜日

太極拳の不思議

武術以外の目的で太極拳をやるのは健康が主な目的でもあったりするが、 通常武術を嗜んでいる人が太極拳をやろうというのは強くなる為であると思う。 私の教室にも多くの武術愛好家が強くなる為に太極拳を習いに来ています。私も強くなる為に太極拳を始めました。ただ、太極拳をやっていくと多くの人が勝つか、負けるかはどうでも良くなってくるのも事実です。私も以前程、組手や勝負に対する拘りがなくなってきました。これはどういう事かと言えば太極拳の本質に根差した問題と考えています。太極拳は無極、太極、陰陽、無極と移りゆく一つの世界観で、陰陽のバランス、調和を基本としています。これが身についてくると調和が身についてきます。一方的に倒すとかではなく、調和の中で身を守れれば良いかっという考えになってきます。ガツガツ勝つ事もないかとなってくるのです。又、この無極が曲者で無極を体現する為には無になるわけですが、全ての念を落としてしまうので、そこには相手に勝とうとかの意識も無くなってしまうのです。無極になって初めて相手が自分、自分が相手という感覚になってきて、相手の事が自分の事のように把握せられるのです。そうなった場合、相手、自分というのは自分の我見である事が分かってきます。海の波をそれぞれ独立したものと認識しているのと同じ事です。全ては一体のものなのです。ここが実感として分かってくると、そこには相手を倒そうとかの気持ちも無くなってくるのです。然し、逆に相手の動きは良く見えるようにもなるのですが。
このように太極拳を追及する過程で、太極の思想が自分の中に入り込んで、自分の血肉となってきたら人を倒す事はどうでも良くなってくるのです。そして太極を追及するようになってくるのです。馮老師は「太極拳はいささか了解しているが、太極は終わりの無い道である。太極拳を修行している人は全て同道の士である。」と言われていました。最近はその意味が身に染みてきているこの頃です。ひょっとして太極拳を創った人はそれが目的だったのでは無いかと勘ぐっています。要は血の気の多い武術家に太極拳を道具として与え、その道具を利用して太極の道に引きずり込もうとしているのではないかと。私だけでなく、うちの教室に来ている武術の高段者は自然とこの拳を修めているとそうなっていってるのですから、この推測もあながち間違っていないのではと思います。即ち、太極が目的、太極拳は手段の一つという訳です。しかし、それが分かった時はもう後戻りのできない処に来ているのです。自然と太極を追及する自分がいるのに茫然としてしまうばかりです。これが太極拳の不思議だと最近つくづく思います。