2017年1月8日日曜日

陳発科の北京陳式太極拳  

陳発科老師は陳式太極拳に於いては非常に傑出した人物として知られ、その尊称を「太極一人」と言われていました。陳式太極拳ではその他に第六代陳長興もその尊称を「牌位大王」と言われ傑出した人物として知られていますが、それ以来の人物でしょう。
この陳発科は同氏が活躍した北京だけでなく、中国各地で幅広い支持と人気を博していました。私が北京にいた時(1993-2003)は既に陳発科老師の弟子である馮志強老師が非常に有名でしたが、それでも一般の人の口には陳発科の名がしばしば出てくるといった具合でした。
陳発科老師の練っていた套路は陳家溝で練っていた陳照丕老師の套路とは区別する為新架式と呼ぶ人も出てきました。実際陳発科老師とその弟子の太極拳は少し趣を異にする事もあり、北京陳式と呼称する人が出てきました。私が北京にいた時には既に北京陳式が正式名称として使われており、馮志強老師が北京陳式の会長となっておられました。このブログでも書きましたが、馮老師が創ったと言われている陳式心意混元太極拳も陳発科老師の創作という事です。 即ち、陳発科老師は不断に陳式太極拳を改良してきた陳式太極拳の大名人と言えるでしょう。 ではなぜ陳式太極拳を改良したのか、その発端は胡耀貞老師にあるようです。私が聞いた話では胡耀貞老師は陳発科老師の力量は認めていたものの、この太極拳は硬すぎると言われたそうです。それが改良の一因と思われると馮老師は言われていました。それから研鑽7年で7か所を変更し、その内3か所は胡耀貞老師と共同研究の上改良されたという事でした。この混元太極拳の原型を伝授された馮志強老師は常々この太極拳は上乗の太極拳だと言われていました。その後陳発科老師の要請に基づきこの原型を更に7か所改良されたという事です。従い、この陳式心意混元太極拳を含めて北京陳式と言って良いと思うのは私だけでは無いと思う次第です。なぜなら、そこには陳発科老師と馮志強老師を貫く一つの流れが存在するからです。
今では陳式心意混元太極拳と共に北京陳式の流れ、思想、文化も何とか後世に伝えたいものだと強く願っています。





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