2017年1月12日木曜日

内丹功

陳式心意混元太極拳には一つの秘伝であり、家傳の内丹功が伝わっています。 ただこれは不思議ですが、馮志強の拝師弟子でも伝わっているのはほんの一部でおよそ5人位と言われています。どのような基準で伝えたのかも定かではありません。ただ、これが伝わっている人が真の馮志強老師の継承者と言えるでしょう。私の師匠の張禹飛老師はこの功法を正しく継承された方でした。張老師が4年前に大病をされた時にこの功法を誰にも伝承していない事に気づき、拝師の弟子の内の何人かに伝えられました。それが今ここに伝わっているのです。本当に不思議な縁だと思います。

2017年1月11日水曜日

推手から組手(散手)へ

太極拳の練習を始めてどの段階でどのように組手を始めていけば良いかを述べたいと思います。これは馮志強老師の北京陳式での考え方であって他の陳式太極拳に付いての批判ではありません。
まず最初から組手を行うと相手の勁を聴くという事ができず、こちらが意念を出しっぱなしとなり、相手の太極、陰陽も把握できない。従い、まず推手で聴勁ができる事が前提となります。聴勁を行っている時はこちらから意念が出ておらず、動静の機が分かるようになってきます。太極拳経では太極は動静の機、陰陽の母と言われています。この動静の機、即ち太極を把握でき始めた時が組手に入る時期としては適当かと思います。この時期を出来るだけ早くする為には我々の流派では力で押しまくる「おしくらまんじゅう」の推手はせず、筋トレをして力で投げる等の推手もせず(筋トレが悪いと言っているのでは、ありません)試合の推手もせず(試合の推手が悪いと言っているのではありません)推手を一練習方法として位置づけて只管心を澄ます事にのみ集中します。推手を競技にしてしまうと私の場合はどうしてもこちらの勝とうとする意が出がちとなり、聴勁がなかなかできず、相手の心や意が動く時を捉える事ができません。 今我々が行っている推手で効果があると思えるのは約束推手です。一方が攻め、一方が守るだけの推手です。但し守る側は相手が攻撃してきた瞬間のみ攻撃ができるというルールで行います。このように行えば攻撃的で意が出る人も守る側になった時は必ず守りに徹する必要があるので、聴勁が長けてきます。この推手ができるようになると自由推手と約束組手に入っていきます。約束組手は上記の約束推手と同じ要領で行います。即ち一方が攻めるだけ、一方が守るだけで行い、守る側は相手が打ち込む瞬間のみ攻撃ができるようなルールで行います。この場合守る側の攻撃は相手の攻撃を受けつつ攻撃する形となり、攻防が一体となったものとなります。これを実現するには相手の意や、心の動く瞬間を捉える必要があります。これが正に聴勁です。こうして鍛えていけばスムーズに組手に対応できるようになります。組手(散手)が弱い、又は出来ないが推手では強いのでは本末転倒となりかねません。推手は必要ですが、散手(組手)に結びついてこその推手と捉えています。推手を独立した試合として行う事は我々の流派では取りません。心を澄まし、太極を捉えるより意が出やすいからです。勿論やり方によっては推手の試合を行っても正しい道にたどり着ける方法もあるかもしれませんし、それを批判するものではありません。
太極を追及し、太極を把握するから太極拳と呼ばれるのです。良く馮志強老師は太極の拳と言われていました。その意味は太極を掴み、太極を体現する拳という意味と解釈しています。

2017年1月9日月曜日

混元太極拳の中味

混元太極拳と言っても、元々は陳式太極拳ですので、この太極拳を創った意図は陳式太極拳の良い処は残し、少し不具合がある処は改良したというものです。 この太極拳を練っていて感じるのは丹田にある混元球の回転とそこから起こる纏糸勁との組み合わせが起こっているのです。
丹田の球はある練り方により自由に動くようになってくるのを実感できます。 自由に動くとはどういう事かというと、そう思った方向での回転をするという事です。その球の回転の遠心力が靠(カオ:一般には体当たりという事)を誘発してくるので触れた処から相手を飛ばす事ができます。 しかしそれだけには留まらない事が起こっています。それは回転から出てくる勁を纏糸の運動に変える事です。これはその2つを教室では実際に見せて比較して理解して貰っていますが、回転に纏糸が加わると威力が倍増します。これが実感できるとなぜ混元球なのかなぜ纏糸なのかが分かってきます。私のように功夫が左程無いものでも大きな威力を発揮できるようになっています。ましてや陳発科老師や馮志強老師は推して知るべしです。
一方混元内功では功夫をスピーディーにアップさせるようにできています。 通常の站椿功よりも倍以上のスピードで功夫がアップし、この套路と混元内功の精巧な組み合わせの妙を感じるものです。

2017年1月8日日曜日

陳発科の北京陳式太極拳  

陳発科老師は陳式太極拳に於いては非常に傑出した人物として知られ、その尊称を「太極一人」と言われていました。陳式太極拳ではその他に第六代陳長興もその尊称を「牌位大王」と言われ傑出した人物として知られていますが、それ以来の人物でしょう。
この陳発科は同氏が活躍した北京だけでなく、中国各地で幅広い支持と人気を博していました。私が北京にいた時(1993-2003)は既に陳発科老師の弟子である馮志強老師が非常に有名でしたが、それでも一般の人の口には陳発科の名がしばしば出てくるといった具合でした。
陳発科老師の練っていた套路は陳家溝で練っていた陳照丕老師の套路とは区別する為新架式と呼ぶ人も出てきました。実際陳発科老師とその弟子の太極拳は少し趣を異にする事もあり、北京陳式と呼称する人が出てきました。私が北京にいた時には既に北京陳式が正式名称として使われており、馮志強老師が北京陳式の会長となっておられました。このブログでも書きましたが、馮老師が創ったと言われている陳式心意混元太極拳も陳発科老師の創作という事です。 即ち、陳発科老師は不断に陳式太極拳を改良してきた陳式太極拳の大名人と言えるでしょう。 ではなぜ陳式太極拳を改良したのか、その発端は胡耀貞老師にあるようです。私が聞いた話では胡耀貞老師は陳発科老師の力量は認めていたものの、この太極拳は硬すぎると言われたそうです。それが改良の一因と思われると馮老師は言われていました。それから研鑽7年で7か所を変更し、その内3か所は胡耀貞老師と共同研究の上改良されたという事でした。この混元太極拳の原型を伝授された馮志強老師は常々この太極拳は上乗の太極拳だと言われていました。その後陳発科老師の要請に基づきこの原型を更に7か所改良されたという事です。従い、この陳式心意混元太極拳を含めて北京陳式と言って良いと思うのは私だけでは無いと思う次第です。なぜなら、そこには陳発科老師と馮志強老師を貫く一つの流れが存在するからです。
今では陳式心意混元太極拳と共に北京陳式の流れ、思想、文化も何とか後世に伝えたいものだと強く願っています。