2016年11月11日金曜日

推手の練習方法2 2016年11月15日更新

推手の練習方法は先のブログで書きましたが、もう少し突っ込んで説明したいと思います。
ここで太極拳経に戻って太極を定義してみたいと思います。
「太極は無極から生じ動静の機、陰陽の母なり」
これはどういった事かというと動静が生じる前、陰陽が生じる前のその機を含んだ状態を言います。 ではこの動静は何を指すのか? 相手が動く前なのか? これは心が陰陽に分かれ、意が陰陽に分かれ、身体が陰陽に分かれる事を前提とすれば心が動きそうになった処を指しているのです。心が陰陽に分かれる前、ここが太極ですが、これを押さえる、掴む事が非常に大事です。
まずは自分が全ての念を落として無極となる事が必要です。この状態になれば相手に太極が生じた事が良く見えるのです。なぜなら自分の念を落とし無極に立てば相手も自分も一体である感覚、もっと言えば周囲の場とも一体の感覚を得る事が出来ます。この状態で相手の何かが動けば、相手の心も含め自分の身体の中の事のように明確に捉える事が出来ます。
では次の段階、相手の心が動き、意が動き、身体が動いた時にどのように対応して行けば良いか? 既に心が動いた状態で相手を捉えており、どういった動きにでるかは予測できます。しかし相手が動いても、こちらは心や意を動かしてはダメです。特に相手の動きに意を固着させるとうまくいきません。相手が動いてもあくまでも自分を捨てて相手に従うように相手に合わせていき、こちらの意は相手の全てを捉えていると相手を崩す事が可能です。これがいわゆる「捨自従人」(自分を捨てて相手に従う)です。私もいつも出来ている訳ではありませんが、このように練習していけば太極を把握でき、崩される事は無くなるでしょう。というか「後の先」を取る事が可能となってきます。
又散手になった時でも心の動きが捉えられ遅れをとる事はなくなります。本当に力量がある外家拳の使い手の場合拳が見えない事もあります。小生は極真会芦原道場、芦原会館に身を置いて芦原先生を身近に見てきました。時々今何発拳を出したか聞かれるのですが、あまりにも拳が早く見えない事がありました。このような素早い拳の場合相手が動いてからこちらが動いても到底間に合いません。従いオシクラ饅頭の推手をいくらやっても全く役に立ちません。馮志強老師の推手はいつも相手が動く前を捉えられておられました。 ある時小生が推手でなかなか歯が立たない劉師兄が、偶々馮老師が通りかかったので推手をお願いしました。殆どお願いしますと言い終わらないうちに崩されていました。これでこそ散手(組手)に使える推手となるのです。
又ある時陳発科老師にある外家拳の使い手が試合を申し込んできました。発科老師は断ったのに執拗に試合を迫り、自宅まで付いてきました。仕方なく発科老師は同挑戦者と立ち合い家から放り出したという事です。 馮志強老師はその時陳発科老師の書生をしていましたが、陳発科老師は馮老師に今来た外家拳の使い手の拳は非常に速かったがそれは怖れる事では無いと言われました。この意味は上記を読まれた方はお分かりでしょう。

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