- 混元太極拳は球や円の動きと言いながら手をぷらぷら円に動かしているだけじゃないのか?
これは混元太極拳を行っている人を見れば半分くらいは当たっている批判です。しかし混元太極拳を行うにはまずは丹田に混元気を持つ事が必要で、それを短期間に養成する為に混元内功があるわけです。混元気があれば手の回転運動と混元気が同調して動くようすが実感として感じられるようになるでしょう。そうなれば手がぷらぷらと又はぴらぴらと動くのではなく勁が働いた動きとなり、外から見てもそれと分かると思います。このような状態であれば手(及び他の部位)の回転運動が混元気の回転を促し、又混元気の回転が手の回転を促し、球の遠心力と求心力が混元気を中心に働いていくのです。これは練る事により実感する事が大事です。練らずに外見だけみて判断するのは早計というものでしょう。 - 混元太極拳は実戦的ではないのでは?
この問いを発する人は日本の武術練習によくある典型的なパターン学習に慣れた人です。即ちこの人達はこう言っているのです。混元太極拳は各招式の間に回転の動きや開合の動きがあり、色々な技がシンプルな形で存在しない為実戦では使えないのではという疑問です。この考えの背景には「色々な技に習熟し、対錬でのパターンを刻みこむ事によって技は使え実戦で役に立つ」という考えが前提にあります。これは柔道、空手共に色々な技を習熟するまで繰り返し、それらが相手との相対練習でパターン化させて使えて初めて実戦で使えるとの現実からくるものです。このパターン学習は色々な分野に及んでおり、日本人には学習する事イコールパターン学習という具合になってきています。
もう一つは套路を空手等の型と考え、型は「技」を流れの中で練習するものでそれ以上のものでは無いと考えている事からくる批判です。然しながら套路は所謂上記の型ではありません。従い、「技」以外に上記のように「陰陽」を学びますが、もう一つは築気による「功夫」の養成です。「功夫」はある意味で技よりも重要ですが套路の中に回転の動き「混元の動き」や「開合」を加えているのはその功夫を短期に獲得する事にも大きく寄与しているようです。
第3の役割は「意念」を鍛える事が套路の重要な役割となっています。「意念」を鍛える事により反応の速度が増すわけです。身体は放松ですが、意念がビシーと働いた状態で套路を練っていきます。その中で意念を鍛えていくのです。健康太極拳でよくあるのが意念が働かず散漫になり気持ちよさそうに套路を練っている人をよく見かけます。混元太極拳でもそう言った人が多いので人の事は言えませんが。ここは重要なポイントです。
混元太極拳を批判する人は技に注目して発言されている人が多いように見受けられますが、上記より私の学んだ太極拳の実戦性は「技」以外に「功夫」「意念」「陰陽」によって大きく支えられているようです。