2017年11月21日火曜日

張禹飛師傅門下の俊英

私が知る限り張老師門下での逸材は以下の3名でしょう。 私も入れたい処ですが、正直な処、功夫が不足していると言わざるを得ません。将来は私を加えて四天王になりたいものです。

1. 薛超 (山东 东营/ http://www.taijiren.cn/details/18474.html)
 陳家溝の推手大会で優勝した事がある。功夫は一番あるかもしれない。未だ30台と若いが謙虚でかつ温厚な人格者。将来を嘱望されている。

2. 王建利 (河北省 张家口/ )
太極拳の各種大会で優勝されている。一時小生を敵視していた仁であったが、今は最も仲の良い拳友。功夫では小生が置いていかれている。昔はかなり好戦的だったが、今は張老師の薫陶を受け良い意味で成熟してきている。彼も推手はかなり強い。

3. Jesse Lown (トロント カナダ/http://www.jesselown.com/about-2/)
昔から張老師に師事している非常に寡黙で真面目な仁。中国人よりも一目置かれている。彼も推手はかなり強い。将来の北米は彼が仕切る事になるでしょう。

2017年10月23日月曜日

気功

最近リウマチを患っている人(N氏)が気功を教えて欲しいという事で現在マンツーマンで看ている。N氏はリウマチを治す為に北京に行き人民解放軍の病院で気功治療を受けたとの事でした。その気功は外気功で、気功を受けた時は調子が良いが暫くすると良くなくなると言われて居られた。然しながら気功を行う事が何となく身体に良いと思われており、又薬に頼っても対処療法と思うので気功を教えて欲しいという事だった。我々が行っているのは内気功なので自分で気を増やす事が出来るメリットはあるので、ダメ元でやってみられますかと話をし、気功を行う事となった。混元内功より幾つかを選び1カ月程やって頂いたら動かない指が動き始めたと言われて大変驚いておられた。その後気功を増やし、太極拳の套路をある点に注意して打って貰うようにしている。指は更に動くようになったと喜んでおられる。誰でもそうなるかは分かりませんが、そういう例もあるという事で御紹介させて頂きました。

2017年9月11日月曜日

馮志強老師の陳式太極拳と芦原英幸先生の芦原空手

ここに来て両者を学んだ者として両者の共通点と相違点を纏めてみたいと思います。
まず私が芦原空手を学んだ時期ですが、極真会館の芦原道場の時に学び始めました。この時の道場には人が溢れ、組手の時は異様な雰囲気が醸し出されていました。それは当時の白帯でも他流の空手や少林寺拳法出身者で有段者が多く、お互いがあいつには負けないという感じでした。従い白帯同士の組手が一番危ない状況にあり、怪我人が続出していました。又他流はからの挑戦者等もいたりして何か映画でも見ているかのような状況でした。
組手は見学者を締め出して行われており、顔面のパンチあり、髪の毛を掴むのもありでしたので、顔面のガードを一番最初に痛みと共に覚えるという状況でした。その後流石に白帯同士の組手は無くなり上級者がサバキで制するという形になっていきました。従い、今でいうまずサバキが在りきでは無く、突き、蹴りの中でサバキを使い制していくというものでした。このサバキですが、考え方の基本は相手と正面からぶつからないというもので、相手の攻撃と同時に左右のポジショニングを取りながら攻撃を無力化するものです。この点は太極拳の化勁に通じるものがあります。又受けが同時に次ぎの攻撃のポジショニングに繋がっており、自分は攻撃できるが、相手から攻撃ができないポジションを取りにいきます。又芦原先生の突き、蹴りは非常に重く、簡単に手加減して技を繰り出して頂いている場合でも尋常でない重さがありました。これは太気拳での内功の影響があったのではと推測されます。この点は勁がある太極拳に似ているものと思っています。最後に芦原先生は後述の通り、技を次々に開発され伝統の技や型に固執されませんでした。常に進化していく空手でした。一方馮志強老師も套路をどんどん改善していかれました。これは陳発科老師よりのDNAで「不要保守」(保守的になるな)と言われて改善される事に常に積極的でした。この点は類似点として上げられるでしょう。
次に相違点ですが、芦原空手では上述のように相手の攻撃に合わせ有利な位置を取って攻撃したりしますが、太極拳では攻撃を躱しつつ攻撃を行ったり同時での攻撃が結構あるという事です。又接近したインファイトでの攻防に於いては芦原空手では肘、膝の攻撃となってきますが、太極拳では靠(カオ)という体当たり(正確には体当たりでは無いのですが)を用いる点です。これは体が当たる時に発勁を行っているのですが、かなりの威力で相手が吹っ飛びます。一方芦原空手というより芦原先生の空手の特徴というか印象に残っているものはそのスピードになります。一般には伝統空手はかなりのスピードとキレを持っており、フルコンよりスピードがある人が多いですが、芦原先生に限っては右にでる人がいないと思えるスピードでした。例えば、冗談半分でご自身が何発正拳突きを打ったか当ててみろと言われた場合に殆どの場合正確に何発打ったか見えない程でした。もう一つは技に対する考え方に違いがあるように思えます。芦原先生は技は開発するものというお考えでした。実際に色々な技を開発されました。従い、開発された技の説明を行う時は人を限って行われていました。所謂企業秘密という感じです。一方馮志強老師は太極拳の一つの招式(技のようなもの)の使い方にかなり柔軟性をお持ちでこういう使い方もできる、こういう使い方もできると幾通りもの使い方を示され、固定的に考えておられないような節がありました。非常に臨機応変という感じでした。散手(組手)は千変万化といつも言われており、その中で臨機応変に対応していく事が根本にあり、技自身の変化も認めて居られました。以上が私が経験した太極拳と空手の類似点と相違点です。私自身の理解が浅い処もあると思うので一概には言えませんが、一つの意見としてみて頂ければと思います。

2017年8月2日水曜日

意念 中国武術の精華

意念も私が太極拳を通じ初めて出会った新しい概念でもあり、又素晴らしい技術でもあります。太極拳は意を鍛える武術ですが、意を鍛えるとどのような事が起こると思われますか? 一つは意で相手を動かせるようになるのです。但し、これには幾つかの条件があります。
1.まず相手が意を出して来た時に限ります。然し、武術をやってきた方なら殆どの
  場合が攻めて来る時に強い意が出ます。又喧嘩好きな人も強い意が出てきます。
2.こちらの意がある程度強い事が必要です。
3.こちらから相手を攻めずに、相手に従う気持ちを持つ。
この3は何処かで聞いた事があると思いませんか? そうです。太極拳の要諦が描かれた「太極拳経」の「捨自従人」(自分を捨てて相手に従う)です。自分を捨てて、相手に従うとは動作の事だけを言っているのでは無く、意念に就いても言及していると考えられます。全ての思いを捨て、相手に従う気持ちを持てば、相手の意念が出てくる処が良く見えてくるという事です。
話を戻して意を鍛えるともう一つには意の反応が速くなってきます。人と対した時に意の反応が速い事はこちらの動きに余裕が出てくる事になります。尊敬する北京陳式の陳発科老師は相手が速い動きの時は自分も更に速く動かれたそうですが、これは意を鍛えているからだと思われます。
三つ目に相手の意が動く瞬間が分かるようになる事です。意の感受性が増すからです。空手をやっている時より、非常に相手の動きが見えやすくなり対処しやすくなってきます。意の動く瞬間が太極です。静動の機、陰陽の母が太極拳経では太極と呼ばれています。意が動いてしまえば動となり、陰陽が分かれた状態になりますが、動いていないけれども。その機を含んだ状態が太極という事になります。実際元々他の武道の高段者が長らく組手を行っていないにも係わらず私の下で太極拳をやっていて組手を再開したら、強くなっていたという事が起こっています。これは太極が捉え易くなった結果と言えるでしょう。
以上が意を鍛えたら出来るようになる事の例です。従い、太極拳は素晴らしいと言いたい処ですが、実はこれは太極拳だけにある事では無いと思えるのです。意念を重視するのは私が知っている限り多くの中国武術の内家拳(太極拳、形意拳、八卦掌等)に当てはまるという事です。もっと正確に言えば内功を練る内功武術に当てはまると思います。例えば少林拳等は一般には外家拳に分類されますが、私が知っている方の少林拳は内功がある少林拳で、ここでも意念が言われています。私が知っている意念の効果は上述した通りですが、他の拳では意念を練る事による別の効果もあるかもしれません。従い、この意念は多くの中国武術に存在する中国武術の精華と言えるかもしれません。

2017年7月13日木曜日

北京で知り合った女性拳士の思い出

北京に滞在していた頃週末は大抵、張老師の元で練習をするか、馮老師に教えて頂くかのいずれかで土日は過ごしていました。張老師で練習しているある時期に頻繁に練習に来る中年の女性拳士がいました。馮志強老師の高弟を渡り歩いているような様子で、陳項老師、唐跃新老師等の名前が出てきており、その頃は張老師の練習に勝手に参加するような有様でした。言葉も態度も上から目線であまり良い印象は持っていませんでした。その頃は武器、特に剣を学びに来ており張老師も仕方なく教えている様子でしたが教えても教えても忘れるので、傍から見ている限りでは覚える気があるのかと思うような感じでした。ところが張老師も嫌気がさしたのか、彼女の剣を私が教えるようにと、こちらに振られてきました。今までは他人事でしたが、他人事では無くなり大変時間をかけて剣を教えた経験があります。剣を教えている合間に推手をしようとその彼女から言ってきて推手をしましたが、この推手で手を合わせた時に彼女が只者では無いと悟りました。功夫があり、柔かい推手でした。套路も重い套路を打っていました。先程も述べたように上から目線でしたが、小生の剣はなぜか評価しており、あなたの剣は良いと言って貰いました。従い、剣を教わる時は割と素直に習っているといった具合です。それにしても中国は恐るべしと思ったのは、こんなおばちゃんでもかなりの功夫を持った人が何気に存在するといった事でした。日本ではこれ程の功夫を持ったおばちゃんが存在するのかを考えると、その層の厚さに驚くばかりでした。

2017年7月1日土曜日

站桩(zhan zhuang)Ⅱ

站桩とは站椿功の事です。別名立禅とも言われ、立つ事により内功の力を養う功法です。この站椿功を続けると押されても動かない力が養われ、拳を打つと強い威力のある拳が打ち出されます。要は太極拳で言う処の功夫が上がるので、非常に重要な功法と言われています。従い、これを如何に効果的に行うかが非常に重要になってきます。站椿功は通常お臍と反対の命門を外側に出し、意念を丹田に集中させて行います。この時他の事を考えていては効果は上がりません。全ての雑念を捨て去って丹田に意識を集中させますが、往々にして時間が長くなると雑念が入って来て站椿功の効果を半減させるどころか殆ど無い状態となってしまいます。中国では太極拳を行うには悟性が大事だと言われるのはこの事を指しています。これを打破する方法として小生は站椿している人の丹田から気を小生の意念で引っ張り出す事をやっています。太極会の人は既に皆さん経験されていますが、意念が丹田に集中されていない場合、気が引っ張り出される事により、その人は前に引きずり出される事になります。具体的には前に歩き出す事になるか、歩かないまでもお腹が引っ張られる感覚となります。最近、ある太極拳の団体との交流会でもこれを御見せしましたが、これを行うと皆さんの站椿は格段に良くなってきます。小生に気を引き出されないようにビシッと集中されるので站椿の効果が短い時間で上がる事になります。その結果功夫が上がり、人に押されても動かなくなります。これはどのようなメリットがあるかと言えば突き、蹴り等が地の力を使う事が出来るため威力が大きく増す事となります。

2017年6月1日木曜日

散手(組手)に関して

ある時馮老師と2人だけになった時に私に突然言われました。太極拳で強くなろうと思えば散手をしなければならない。散手は千変万化である。それに対応していけないようでは駄目だと言うような事を言われました。私は太極拳で強くなろうと思っていましたが、そのような事は一度も馮老師は仰った事がありませんでした。しかしまるで私の心の内を見透かしたように突然そう言われました。おそらく馮老師もそのようにして強くなったのでしょう。又馮老師も同じような事を陳発科老師から言われたのかもしれません。
又私の直接の老師である張老師からも散手をやらなければ強くなれないという事を言われました。張老師は強くなる為に馮老師と同じ長屋に住み馮老師が仕事から帰るのを待って太極拳を習われた方でした。散手はしょっちゅうされていたとの事でした。従い、強くなる為には散手は必須です。但し、推手と散手でも述べたように散手を始める時期も大事です。特に散手を別の武道でやって来られた方はそのくせを取り、太極拳の散手をする必要があります。最初から散手をやったのでは前の武道の散手となり、なかなか太極拳の散手とはなりません。このタイミングは直接老師に御指導を仰ぐ必要があるでしょう。
最近(今年の4月末)ある太極拳の宗師が散手でボクシングか何かの選手に負けて話題になりました。又負けた後もインタビューで自分が太極拳の内功を使えば相手は死んでいたというような事を言っていたと思います。しかし、ビデオで見る限り散手に慣れた様子は見られませんでした。どんな威力があっても当たらなければ意味がありません。最初から後ろに下がるようではまず散手に勝ち目はなさそうだと思いましたが、結果は御存じの通りです。
最初に太極拳が世に広まったのは楊式太極拳の楊露禅が北京に出てきた時でした。太極拳が本当に強いのか世の人は疑問の目でみていましたが、楊無敵と言われ太極拳の強さを証明しました。その後楊式太極拳も楊露禅のような達人が出なくなり、太極拳の威力が疑われ始めた頃、陳発科老師が北京に来られその無敵と武徳を称賛されたのでした。陳発科は「太極一人」と称され、陳式太極拳でも陳長興と並ぶ出色の人物とされました。然し北京陳式もそろそろ発科老師を初代とすると3代目から4代目に入りました。これからがいよいよその強さが試される時期となるのでしょう。